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2012.08.17 Facebook
ミクシイをやめ、Facebook1本にして早1年。。。

最近になって、Facebookを使い始める日本人のお友達が急増中で嬉しい私。

幼稚園からの友達とも十数年ぶりに話す機会が。Facebookに感謝です。
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先週の金曜日ユリがプリスクールにいる間に、以前働いていた中学校のあるFoster Cityまで行ってきました。この学校の前はSan Mateoの中学校で働いていて、そこでの同期の友達Danielleと会うためです。DanielleはSan Francisco在住で英語/社会教師。最近女の子を生んだので、来年の8月まで教職はお休み中です。私達2人が勤めていたSan Mateoの中学校に当時はDean(生活指導の人)として働いていたJudyは、今現在Foster Cityの中学(つまり私が以前働いてた場所)の校長先生になっています。



3年前に働いていた学校といっても、私が働いていた時と先生の面子は変わらず。この学校はこの辺りでは優秀で、生徒もそれはそれはよく勉強するので、教師側からすると教えるのはラクチンなのです。先生もそんな学校から他に移って行く理由もありません。私自身もJudyや他の仲の良かった先生達と会い、改めて良い職場だったな~と実感しました。



私が以前教えていたRoom 5で現在教えているのは、仲の良かった先生の一人Pam。Pamは数学のHead Teacherで、私がこの学校にいる間も公私共にお世話になった方。教員歴も20年近いベテランの先生です。Pamは私がここを辞めて日本に帰った年に、Foster Cityより少し南にある『超』高級住宅地Woodsideの学校に移ったのです。Woodsideといえば、有名なところでOracleのCEO、Intelの創設者、俳優のミッシェル・ファイファーなどが住んでる場所。私の友達の一人も住んでるのですが、ゲートから家が見えないし、敷地の中にプール、テニスコートがあるのは当たり前、ゲストハウスがあったり、家自体も6~7ベッドルームあったりします。オラクルのCEOは日本の寝殿造りの家だそう。



さて話は戻って、PamがWoodsideに移った理由は給料の良さ。Foster City/San Mateoの先生の給料は、このベイエリアでも低い方に入ります。20年働いても上限が75kとかそんな感じです。Woodsideでは上限が100k近いので、上限に近いところにいるPamが移りたかった理由もわかります。Foster City/San Mateoの中学校では、予算の関係から先生:生徒の割合は1:28~32ですが、Woodsideは1:15。教師側からするとWoodsideは完璧なような気がしましたが、Pamは1年でWoodsideを辞め、Foster Cityに戻ってきました。彼女からその話を聞いて、あまりのショックに言葉を失いました。



ベイエリアでは『超』お金持ちなエリアがたくさんあって、親の職業もどこかのCEO、弁護士、ベンチャー、医者などが多く、そういう人達の子が通うエリアは基本的に学校のレベルも高いと言われています。でも教師からすると、そういう親は成績や授業内容などに口うるさいというイメージがあるので(実際そうでもあるし)やりにくいと言えばそうかもしれません。



PamによるとWoodsideはそれに加えて、別の問題があるというのです。それは子供の物の考え方。



普通、親が子供に良い成績を取ってほしいと願うのは、それによって良い学校に入って、それなりの仕事につけるようにとのことだと思います。そして子供も同じように考えている人が多いと思うのですが、PamによるとWoodsideの子は違うらしいのです。この子達の考えはこうです:



『親が大金持ちだから、将来自分も同じ様にお金持ちになりお金に困ることはない。お金があるから特に良い仕事に就く必要もない。それなら良い大学に行く必要もないし、学校で良い成績を取らなくてもよい。』



それに加えて親は親で、子供の成績がAでないと『口撃』してくるそう。ここの先生も親と言い合いになるのも嫌なので、適当にAをあげるとのこと。



PamはFoster Cityの中学校では生徒に大人気なくらい素晴らしい先生で、学区内の教師陣にも有名だったのですが、Woodsideの1年で相当精神的にダメージを受けたらしくて、思い出したくもないくらいの経験だったそうです。Pamは昔、ジョークで『エリも仕事復帰するなら、Woodsideに来なさいよ~』と言っていたんですが、私は絶対行かないでしょう。子供がここまでやる気をなくしてるというか、勉強や学校の意味をわかってないのなら、どんなに優秀でやる気のある先生が行ってもその人の労力が無駄になるだけのような気がします。
5月にアメリカに入国した際に、グリーンカードを持っているにも関わらず、長期アメリカに住んでいないので、再入国許可証を取るように言われた事は前にもここで書きました。それで主人の会社の弁護士さんが諸手続きをしてくれているのですが、最近移民局はいろいろなゴタゴタがあったり法律が改正されたりだとかで、それぞれの手続きにどのくらいの期間を要するとかがわからなくなったそう。

この再入国許可証というのは、申し込んでから数週間で申込書が届いたという確認の手紙が移民局から届き、それからまた数週間でappointment noticeという『この日に近くの移民局に指紋採取の為に出頭しなさい』という旨の手紙が届きます。

私を担当している弁護士は、同じシチュエーションのインド人の女性の件も担当していて、彼女は私より1ヶ月くらい前に申し込みをしたらしく、弁護士は彼女の件を参考に(移民局がゴタゴタなので)私にアドバイスをくれていました。

弁護士によると、

・申し込み~受理の手紙:5~8週間
・受理の手紙~指紋採取のアポイントメント(指紋採取はアメリカでやらなければならない):2~3週間
・指紋接種~再入国許可書が届く(これは近くの大使館や領事館で出来る):2~3週間

との説明を受けていたので、当初はアメリカ滞在を延長してこの手続きを済ませてしまおうと思っていましたが、時間がかかり過ぎるし横浜での生活もあるので、日本に帰る事にしました。

マーフィーの法則とでも言うのでしょうか。帰国した日に受理の手紙が届き、指紋採取のアポイントメントnoticeはサンノゼにいる弁護士の所にアメリカ時間の6/7の午後3時に届いたそう。そしてアポイントメントの日はアメリカ時間の6/7の午後1時!!!ありえない...

結局かかった時間は:
・申し込み~受理の手紙:2週間
・受理の手紙~指紋採取のアポイントメント(指紋採取はアメリカでやらなければならない):10日ほど

弁護士がアドバイスの為に参考にしていたインド人女性は、受理の手紙が7週間以上経過した今でも届いてないそう。これは明らかに人種や出身国で長さが変わってきてる。。。私の分は速くてありがたいけれど、一貫性がないところがアメリカらしい。

ということで、指定された6/7の午後1時には行けないので、再度アポイントメントを取り直し。これも一応日にちをリクエスト出来るけど、気まぐれな移民局なので、それこそいつになるかわからないのです。最初は6月に私1人で渡米するはずだったけれど、一応8月に日にちを変更してもらえるかどうか弁護士に頼んでいるところです。6月は思ったよりもゆっくり出来そうだけど、7月はロンドン旅行もあるし、8月に渡米となると、私達のバタバタは終わりそうにないです。

2010.03.20 カラオケ
主人も無事にアメリカ出張から帰国し、現在私の両親が滞在しています。

今日は私の両親がユリを見ていてくれるというので、主人と二人で近所のカラオケに行ってきました。二人とも成人式の前に行ったので、今回は10数年ぶり。コートダジュールとかいう訳の分からない名前のお店でしたが、最寄り駅の近くにあって便利だったので行ってみました。

禁煙の部屋を頼んだので、キッズルーム付きの二人ではとてつもなく広く感じる部屋に通されました。早速歌う歌を選ぼうと思ったら、カラオケ曲のリストの入った本が見当たらない。その代わり、nintendo DSみたいな機械が2台置いてあって、どうやらそれで曲を選ぶよう。しかもマイクがワイヤレス。何て便利になったの~!と感動。

でもよく考えたら最近車の中で聞いてるのは、ユリのキッズソングだし、普段はAimee MannとかDeath Cab For Cutieなどの洋楽か、ピアノの関係でクラシックばっかり聞いているので、歌える曲って何だろうと選曲でつまずいてしまいました。

それでヒットソングメドレーの年代別のリストが書いてある本があったので、それを見て決めようと思ったら、最近の曲は全然わからず。年をさかのぼって知ってる曲があったのが1997年。それでも聞いたことはあるけど、多分歌えないだろう曲ばかり。

結局選んだのは、松任谷由実やらプリンセスプリンセスやら。古~い。徐々に高校時代にカラオケに行って歌っていた曲を思い出し、レベッカ、ウインク、JUDY AND MARYなどを入れていった私。主人は洋楽を主に、その後はフリッパーズギター、スピッツ、ユニコーンなどを選曲。

でも10年歌ってないので、最初の歌を歌い始めた途端、あごがカクカクと音を鳴らし始めるし声が上ずったりして、歌い方を完全に忘れていました。主人は留学先の関西外国語大学ではバンドのサークルに入ってボーカルをしていたので、結構歌が上手いんだけど、そんな彼も最初は苦しそうに歌ってました。

悲しかったのは、ジッタリンジンというバンドの『夏祭り』という曲を入れたら、別のバンドの子のバージョンになってました。でも古い曲ばかり歌っていたとはいえ、懐かしさに浸りながらカラオケを楽しむことが出来ました。それとやっぱりストレス解消に良いですねえ~。アドレナリンのおかげで、カラオケ後はスッキリ。

これは私の高校時代には無かったと思うんですけど、飲み物やアイスクリームが『ドリンクバー』形式になっていて、おかわり無料のセルフサービスになっていました。何て便利!

ちょっと話は逸れますが、主人がトイレから帰ってきた時に『外に喪服姿の女の人がたくさんいる!』と驚いて言うんです。私がトイレに行く時に、他の部屋が見えたのですが、大勢の小学生と黒い服にコサージュを付けたお母さん方のグループ(7~8組)がドアを開けたままカラオケをしていました。どうやら卒業式の後みたいです。最近の人は卒業式後にカラオケに行くんですね。何か笑えました。

次にカラオケに行く機会は当分ないと思うけど、ストレス解消には最適だなと思いました。家にWiiで出来るjoysoundのカラオケのゲームがあるんだけど、それでも使って『おうちカラオケ』でもしようかな。あ、でもマンションだから大声では歌えないなあ~。

明日は親戚の集まりがあります。横浜みなとみらい&中華街エリアに行く予定です。
私には幼なじみが何人かいます。一番古い付き合い(生まれてからすぐからのお付き合い)の幼なじみ(以下Kちゃん)から、今日の朝元気な男の子が生まれたとの連絡が入りました。

私は生まれてから1歳過ぎまで名古屋に住んでいたんですが、そこで私の家族もKちゃんの家族も同じマンションに住んでおり、母親同士が仲が良かったようです。私が名古屋を去ってからも、何度か行き来するくらい母親同士が仲が良かったみたいです。小さい時の写真を見ると、私達2人の写真がたくさん!

それから2人とも幼稚園児になり、それぞれの生活を送るようになりました。この辺りからは、毎年年賀状でのお付き合いっぽくなっていたのですが、私達が小学校5年生の時に名古屋で久しぶりに再会。Kちゃんの家に泊まり、一緒に当時名古屋で開かれていた『世界デザイン博』というのに行った思い出があります。

それからも年賀状、手紙のやりとりなどをやっていたんですが、次に会ったのは何とそれから10年後。Kちゃん母娘が私の実家に遊びに来ました。当時、私の母が脚の骨を折っていて外出が出来なかったので、母親同士は私達の家でおしゃべり、私とKちゃんは買い物を楽しみました。

そして次に会ったのは、またまた約10年後。昨年末に名古屋を訪れた際に再会しました。この10年の間に私もKちゃんも結婚し、お互い偶然にも国際結婚でした。私にはユリが生まれていて、Kちゃんはこの時妊婦さんでした。

不思議なのは、小さい時はあまり覚えてないし、お互い物心ついてから数回しか会っていないんだけど、会うと不思議なくらい話も合うし、10年も会っていないような感じは全くないのです。全然お互い気を使わなくていいし、とにかく話していて居心地がいいのです。

ちなみに母親同士もまだ仲が良く、昨年は私の母がKちゃん宅へ1泊し、一緒に日帰り旅行もしたらしいです。

そんなKちゃんに待望の第一子が生まれたので、まるで自分の事のように嬉しく思います。Kちゃんは退院後すぐに遊びにおいでと行ってくれてるんだけど、少し待って3月の終わり頃に名古屋へ会いに行こうかと思っています。

私もいずれアメリカに引越すし、Kちゃんも数年後にタイに引越してしまいます。お互い日本にいる間は頻繁に会っていきたいし、その後もこの関係が一生続いてくれたらなと思っています。

Kちゃん、本当におめでとう~~!
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